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zoom RSS クジラと、イルカと、犠牲の山羊

<<   作成日時 : 2015/05/31 10:37   >>

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 ナショナリスト(国家主義者)である僕は、もう日本は、捕鯨はあきらめた方が国益に適うと考えている。
 捕鯨は、日本の伝統文化であるというけれども、多くの日本人にとって、中核的な伝統文化とはいえないだろう。
 とくに、南氷洋捕鯨は断念することを真剣に考える時期がきている。

 正直、反捕鯨国の言い分は、まったく正当性を欠く。科学的でも、合理的でもない。欧米的価値観の一方的な押しつけに過ぎない。多様な文化をありようを否定している点で、文化的不寛容主義であり、新手の植民地主義である。
 そもそも、動物保護は人類にとって中核的な価値でも、普遍的な価値でもない。もし、動物保護が、どの時代のどの地域のおいても、価値あることならば、特定外来生物を殺戮することも、クマを捕獲することも、合理化できなくなってしまう。もちろん、松阪牛をおいしくいただくことも不可だ。
 だから、鯨類の保護については、あくまで、価値中立的な資源管理という観点からのみ、正当化されるべきだ。鯨を殺すことが、人倫に反するとは到底言えない。鯨を殺すこと自体を悪と考える人々とは、対話はできない。
 あとは、漁が認められるとして、漁の方法が、不必要に残虐でないことが望ましいというようなオプションがつくことはありうるかもしれないば、それは、本来本質的なものではない。
 だから、僕も、その意味で、反捕鯨国や反捕鯨団体の主張に屈することは、不正義に加担することになるわけで、忸怩たる思いがする。

 しかし、国益ということを一番に考えるならば、もはや、国家の中核的な利益、中核的なアイデンティティとはいえない「捕鯨」を、不正義ではあっても、多数派であり、有力な国際世論に抗して、続けていくのは、あまりにも、負担が大きいと考えるを得ない。
 クジラ肉を好む日本人は、そう多くない。また、実際、僕も、うまいと感じない。
 クジラ肉を食したい人の嗜好を否定する気はないが、そのような一部の人の嗜好を守るために、日本国家がどれだけの犠牲と負担をするべきかは、別の問題である。
 どうしてもクジラ肉を食したければ、鯨をとることができる国、地域から買えばよい。

 国が大金を投じて、南氷洋の調査捕鯨を行う意義はない。
 反捕鯨団体がいうように、一部の業界の既得権を守っているだけのことだ。
 もっと早い段階で、沿岸捕鯨だけにしていれば、今回のような騒ぎも、あるいは、ふせぐことができたのかもしれない。


 WAZA(世界動物園水族館協会)が太地町で行われている追い込み漁法によって捕獲されているイルカを飼育することを、JAZA(日本動物園水族館協会)がメンバーに認めていることに理由として、WAZAの資格停止とし、改善されなければ除名すると通告してきたことは、まことに、不公平であり、不正義の最たるものであろうと思う。
 太地の人々の口惜しさは、いかばかりであろうか。

 WAZAは、その漁法が残虐であるので、倫理規定違反とするが、追い込み漁による生け捕り自体は残虐といえるのか疑問である。
 また、確かに映画「ザ・コーヴ」のあの入り江を真っ赤に染める映像だけ見れば、たしかに、「残虐」であるようにも見えるが、そもそも、漁とは残虐なものである。生活の資としている者に対しても合意が調達可能な「残虐」とは、要は、不必要に痛みを獲物に与えている場合のようなものに限られるであろう。
 そもそも、日本近海のイルカが絶滅の危機にあるわけでもないのであるから、イルカに限って捕獲することを禁じる
合理的な理由はなく、それゆえ、センセーショナルに取り上げられた太地町での追い込み漁を「残虐」とすることで、反捕鯨運動の高揚を図るという目的を達しようとしたものであろう。

 かようにWAZAの態度は、不当であり不公平であるが、JAZAが太地町からイルカを確保することをあきらめたのは、やむをえない。
 ワシントン条約下で、その移動が厳格に管理されるべき保護動物が、日本の動物園に来なくなるとすれば、繁殖・研究に支障がでるのはもちろん、経営的にもあまりに大きい痛手であろう。
 ライオンを人質にとって、日本の子どもからイルカを奪うようなWAZAと、これに圧力をかけた反捕鯨団体に対しては、いつか、しかえしをせねばなるまい。

 しかし、太地町も、もうイルカ肉をとるのはやめてはどうか。
 紀伊半島の、これといって産業のない地方の、小さな漁港が、ようやく、くじら漁のふるさとという価値を見出した地元の気持ちを考えると、ひどい話である。
 
 紀伊半島の南端は、大阪からも、名古屋からも遠い。
 はっきり、いってしまうと、大変な僻地であろう。
 太地町は、その意味で、経済大国日本の一部ではない。豊かで、恵まれた経済先進国というくくりで描ききる地域ではないのだろう。
 欧米の金持ちの、おセンチな「クジラちゃんがかわいそう」というお上品な偽善によって、彼らがみたこともない、極東の島国の、それも都市から遠く離れ、背には、幾重にひだがふかく、人も入らないようような深い山を背負い、黒潮にわずかな平場をあらわれる土地にしがみつくようにして暮らしている人々の生活が破壊されるのだ。
 なんという矛盾。なんという不正義。

 しかし、日本国家は、この僻遠の地の同胞の生活を、生贄の山羊にして、国家の利益をまもる時期にきているのかもしれない。
 捕鯨を日本文化と主張するのは、「日本文化は野蛮である。」「日本人は残酷である。」というような誤ったイメージを拡散させかねない。
 それは、日本に関するソフトパワーを相対的に減少させる。

 歴史修正主義者という疑念をいだかれる首相が、戦後日本の平和政策を転換しようとしている微妙な時期だけに、欧米の、とくに米国の大衆のはばひろい共感をえておくことは、今までになく、必要なことである。

 日本人が、尊敬と同情を集めている間は、一部の外国が日本を中傷しようと按ずる必要はない。しかし、そのためには、たえず、日本の外聞を気にする必要がある。

 であれば、この問題は、もう解決しておきたいところだ。


 ウィキ・リークスの諸君は、反捕鯨団体のような、国際圧力団体の腐敗にも目を向けてほしいと思うね。ほんと。
 
  

  
 
 
 
 

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