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<<   作成日時 : 2006/02/09 02:25   >>

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このことについて、わたしなんぞ、無責任に以下のような感想をいだいていたりしたのだけど、
こまったひとだちだねぇ…。
イスラム教徒(タリバン)は仏像爆破しちゃったけどねぇ。
多文化共生という点からは西欧のメディアにも考えるべき点はあるかもしれないが、風刺も許さない「信仰心」なんぞ保護の必要性あるのかね。あまりに偏狭な「信仰」ではないか。そういう類の「信仰」を日本語では「狂信」という。

考えてみれば、あのひとたちにイスラム教徒を代表させるような捉え方が、そもそも適切なのかどうか。
おおぜいのイスラム教徒は、まゆをひそめながらも、愚かな異教徒のやることだからと許容していたのかもしれないし…
伝えられた映像から、イスラム教徒はみんなあんなだと思うのは、そこから「嫌悪」にむすびつくのも、多文化主義の下彼らの行動に同情をよせるのも、ともに誤りかもしれない。
いまさら、いうまでもないけど、歴史上はイスラム教(徒)が他宗教(徒)に比べて寛容であった事例はいくらでもあるし、逆に寛容な宗教(と日本人が思いたい)の仏教(徒)の国スリランカで凄惨な内戦が行われてきたことを思えば、ある宗教が寛容であるとかないとかいえない。
ただ、その信仰のあり方が「非寛容」であることはありうるわけで、そのような「非寛容」なあり方をする信仰というのは、文化の差異ということで許容されるのだろうか。もちろん、わたしたちは、他者の信仰を尊重すべきではあるが、それはその他者が同様なルールにのっていることを期待できるという了解があるからだろう。
最近のゴッホ事件や、古くはサルマン・ラシュディ事件からは、わたしは、狂信的な信仰というものに対する懐疑がある。これはイスラムだけに向けられたものではなく、イラク戦争を十字軍になぞらえるようなメンタリティに対しても向けられるべきだと考えている。
このような非寛容主義(反民主主義・反人権主義)は、民主主義や人権思想と対等に取り扱われるべきものではないのではないかと感じられる。
特にラシュディ事件は国家権力によるテロ慫慂という側面があったのであり、イスラム文明・宗教は西欧文明とは異なるということで、民主主義的価値を「西欧文明」としてローカルな価値に引きづりおろした上で、このような国家行為を黙認してしまっては、ヤバイのじゃないかなと感じられるのである。

今回の騒動の発端となった風刺画がいわゆる集団誹謗あるいは一種のレイシズム的なものであったかもしれず、そうであれば、そのような表現が「表現の自由」によって保護されるべきかどうかは、倫理的にも問われるべきである。
他方で、それに対する過激な反応を、一部の権力者が煽っているのはやはり問題であり、そのような煽動に乗って「ムハンマドの風刺」自体を封殺しようとするのは、ムハンマドを預言者としてみとめていない、あるは、認めたとしてもそれ以上の価値が他の何者かにあるという考えをいだいているものに対する非寛容として働くことにも、やはり目を向けざるを得ない。
これを容認できるのだろうか。
少数派が存在し、多数派との間で形式的対等性を要求すれば、実質的には非寛容・抑圧として機能するというのは想像しやすい。
われわれも常にその点に注意を傾けるべきである。
ただ、民主制と寛容な社会の、もっともベースにある人権が表現の自由であるとするならば、これに対する非寛容な態度は、それだけで、排斥されるに足るルール違反である。
なぜなら、そのような態度の反省をえるチャンスが永遠に失われるからである。

などとうだらうだらと考えていたら、swan様が有益な論考を示しておられた。
わたしとは趣旨は異なるものと理解したが、ご議論はたいへん勉強になるし賛同したい点もたくさんある。
ただ、たぶん、わたしの偏狭さが原因なのだろうが、怒れるムスリムに同情できない(寛容でいられない)でいる。もっとも、西欧のメディアの応援をしたいとも思わないけど。

追記
standpoint様がこちらに有益なご議論をなされている。まずは、ひさしぶりの更新でそれ自体がうれしいが、ご議論自体も興味深く読んだ。
また、日記のほうでもいくつか関連の記事をお書きになられており、こちらのほうは、当方も耳が痛いことが書かれており、これも勉強になる。

追記2
「信仰の対象がない者には、信仰のある者がそれが踏みにじられた時に感じる痛みをなかなか理解できない。」ということにすぎないのかもしれない(反省してます)が、ある意味「不信心」なイスラム教徒の方が多数派なのであって、不快感を感じつつも許容しているのではないだろうか、と思いもする。ちょっと思い出せないが、イスラム社会でも預言者をネタにした冗句があったようにも記憶している。(記憶違いかもしれないので、責任はとりきれないけど。)
深いところで、文明の対立というものはあるのかもしれないが、ものごとのうわつらしかみれないわたしには、困ったちゃんと困ったチャンの対立があるようにみえる。
デンマークの困ったちゃんが西欧文明一般を代表できるわけでもないように、これに過激に反応しているひとたちがイスラム教徒・文明を代表しているわけではないのだろうと、さして、根拠もなく思う。
ただ、いずれの社会においても寛容は重要な価値でありうるはずであり、「表現の自由」というものは寛容さの具体化であるとともに、その基盤でもあるのであるから、いずれの社会においても「表現の自由」は尊重されるべきであるはずである。
一部の非ヨーロッパ世界大好きな人たちが、「固有」の文化・文明などという名目の下に、「表現の自由」など民主主義的諸価値を専制主義に売り渡しかねないのには同意しかねる。

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ムハンマドの風刺画
2004年4月に発生したイラクでの邦人拘束人質事件で、人質の行動の無謀さを責める ...続きを見る
たゆたえど沈まず
2006/02/09 17:18
ムハマンド風刺画事件について
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nagoyan
2006/02/12 18:41

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
>民主制と寛容な社会の、もっともベースにある人権が表現の自由であるとするならば、これに対する非寛容な態度は、それだけで、排斥されるに足るルール違反

かつてレオシュトラウスが無条件の価値相対主義と条件付の価値相対主義についての論考を読んだことがあるんですが、そのなかでアイザイア・バーリンの消極的自由について議論しており、彼は無条件の価値相対主義は相対主義にすらコミットしないことでしか成り立たず、条件付の相対主義は相対主義にだけはコミットすることになるのである種の絶対主義を抱え込まざるを得ないといったことを書いています。
スワン
2006/02/10 21:28
これは、リベラリズムがリベラリズムを否定しようとする価値観に対しては敵対的な態度をとらざるを得ないということとパラレルでして、このある種のネオコン的な心性をリベラルにコミットする私たちは容易には否定できないように思うんですよね。

たぶん、乗り越える知恵は、イスラムの側にあるかもしれませんが、もしかすると、西欧のリベラリズムの側にもあるかもしれません。上記の自由主義をもう一段相対化して、原理主義ではない、戦略的な態度を可能にする知恵をさぐるといいますか、そういう姿勢は大切ではないかと思っています。
スワン
2006/02/10 21:34

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