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zoom RSS 三権分立は、国際法違反の免罪符になるか

<<   作成日時 : 2018/11/07 02:33   >>

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韓国外務省「日本は過剰反応、遺憾」

株式会社 産経デジタル 2018/11/07 00:19

 【ソウル=名村隆寛】韓国外務省は6日深夜、元徴用工による訴訟の韓国最高裁の判決に河野太郎外相が「認められない」などと反発していることに対し、「遺憾である」との声明を発表した。判決に対する日本政府の反応に韓国政府が見解を示したのは今回が初めて。
 声明は「韓国国民の感情を刺激する発言を続けていることを非常に憂慮している。特に韓国司法の判断に対し、節制のない言葉で評価するなど、過剰反応していることを強く遺憾に思わざるを得ない」と日本側を批判。「三権分立の原則に従い、韓国の行政府は司法判断を尊重せねばならない」と強調した。
 その上で、「今回の事案を政治的に過度に浮き彫りにさせることは、韓日関係の未来志向的な発展のためにはならないことを、日本政府は明確に認識すべきだ」とした。



 あるいは、ハンギョレ新聞に寄稿した山口二郎法政大教授の「日韓和解のために」という小論に、

また、韓国の最高裁判決について大統領に抗議するというのも奇妙な話である。司法の独立は近代国家の大原則であり、大統領にはこの判決を覆す資格はない。

とあるのも、同じような主張のようである。

 つまり、「韓国最高裁判決に韓国政府に責任はない。あるいは、もっというなら、韓国政府はたとえ国際法違反の判決であっても、韓国最高裁判決に従わなければならない。なぜなら、韓国は、三権分立で司法の独立が定められているからだ。」ということのようである。

 しかし、いかに司法判断の形式をとっていたとしても、それが、国家間の交際、即ち「外交」にあたるものであれば、むしろ、その司法判断の「越権」こそが、問題であろう。
 おそらく、韓国においても、当然、「外交」は、行政権あるいは執行権の権限のうちであり、さらに、いえば条約は議会の関与を必要としているであろう。
 行政府、議会の権限のうちにある「外交」を、たとえば、それが条約の破棄のようなネガティブな形であれ司法権が行使することを認めるならば、相手国は、その当の政府や議会を信頼して、外交など行えないことになる。
 韓国の司法に必要なのは、判断してはいけないことは判断しない、判断できないことは判断しない、という自制心をもつことである。いわば、「司法万能」主義を克服しなければならない。
 それが一つ。

 請求権協定自体が、議会の関与がなかったとしても、それが日韓基本条約締結の重要な要素であったことを否定することはできないことを思えば、少なくとも、当時の韓国議会も、請求権協定を認めていたわけである。そして、その認識はつい10年前までは、民主化された後の、政府や議会によっても、確定的にとらえられていた。
 それを、選挙を経ることない、裁判官たちの、つまり、国民に直接責任を負うことのない司法部の連中の恣意専断によって、実質的に破棄するというのならば、じつは、韓国には民主主義の定着もないと評するほかない。
 これは、司法クーデターであろう。 
 それがさらに、一つ。

 次に、司法権の行使であれば、「外交保護権」にあたらないのかが問われるべきである。
 司法は、国家の主権行使の代表的なものである。
 ここで、「外交保護権」はなくなったが、個人請求権は放棄されないとして、個人の請求権を認める司法権の行使態様は、その結果、その実質において、放棄されたはずの「外交保護権」そのものではないか。
 これが、日本の裁判所に提訴され、日本の裁判所が、個人請求権を認容して、賠償命令を下すのであれば、それは、韓国国家によって放棄された外交保護権を韓国国家が行使しているわけではないので、法理的にはありえなくもない。しかし、韓国の裁判所が、韓国民を保護する判決を下すのは、明らかにおかしい。
 司法という形にせよ、韓国国家の主権行使が、韓国民の請求権を保護する以上は、条約上放棄を約束したはずの権利を密かに、いわば、裏口から手に入れたも同じである。
 こんなことが認められるなら、およそ、「和解」など成立しようもない。韓国国家は、一方的に条約を破棄する権利が認められているようなものだからだ。
 
 さらに、現実に当該国の裁判官によって、国際条約が棄損されてしまったと考える相手国政府は、当然にその是正をそのような国家行為・主権行為をなした国の行政府を相手に苦情を言うほかない。
 三権分立は、当該国の内部関係に過ぎないのであり、その内部関係において、自己の権限が及ばないというのは、当該国の、相手国に対する国家としての責任・義務とは、なんのかかわりもない問題だからである。そして、通常の外交関係においては、当該国を代表して外交を担当するのは、行政府の長であるからである。
 文大統領は、たんに、韓国政府の長に過ぎず、韓国を代表することがないと主張するなら、それでもよい。そんな人物や政府と、今後、なんの交渉をしようとも、意味がないのだから、交渉自体をあきらめるほかない。
 それでは、「未来志向」や「前向き」に両国間で協力して事案を解決しようという主張は、まったくの矛盾でしかない。当事者能力のない人間や政府を相手に、どれほどの約束をしてみたところで、意味はない。どんな「未来志向」であり「前向き」な協力関係が、両国政府の間で約束されても、裁判所の一片の判決によって覆ってしまうのであれば、協力関係などありえようがない。
 わたしは、約束をまもれるかわかりませんが、ふたりで素晴らしいことをする約束をしましょうという人間は信頼できないし、これを信頼してとにかく「前向きに」話し合いをするべきだという主張をする人間も、また、信頼に値しない。

 あえていうまでもないことだが、韓国の政治家が日本の政治家が国際条約違反を非難するのを不快に感じ、われわれは被害者であると反論するのは、まったく道理に反している。
 むしろ、被害者は、約束をいくどとなく、反故にされつづけられている、現在の日本国民であって、70年前に生きていなかった大半の韓国人ではない。
 そもそも、朝鮮の植民地支配が一方的な加害行為であったかどうかも定かではないが、仮に加害、被害の関係があったとしても、それに決着をつけたのが、日韓基本条約と請求権協定である。これが「和解」契約である以上は、両当事者は、もう二度とこれを争ってはならないのである。和解が成立した以上は、加害者も、被害者もありえない。
 われわれは、我々自身の高貴な道義心から、いわゆる「加害」行為について責任をいくどとなく認め、これに対する措置を講じてきたのであるが、そのいわゆる「加害」行為もすでに70年以上も前のことである。日本国民の大半、そして、現在、韓国において、「加害企業」として名指しを受けている日本企業の、多くの従業員は、これらのいわゆる「加害」行為になんの関与もしていない。加害企業にしても、たまたま企業組織として存続してきただけのことであって、戦時中に得た利益などは、とうに吐き出してしまっているに違いない。
 もし、朝鮮半島において、70年以上前のことではなく、強制連行(拉致)と奴隷的強制労働について非難を受けるべき存在が仮にあるのであるとすれば、それは、北朝鮮ではないか。その北朝鮮と、国連決議違反の経済関係樹立を目指す、現在の文政権や韓国民は、北朝鮮にこれの補償を求めることはしていない。被害者を支援する勢力はない。むしろ、韓国社会の中で疎外されているようでさえある。
 韓国社会に問いたいのは、現在、朝鮮半島において、もっとも人権が抑圧されているのは、どういう人々なのか、冷静に考えてみるべきではないのか、ということである。これに答えなくて、すでに歴史となっている過去の被害を一方的にいいつのり、あまつさえ、その「被害」を免罪符にして、国家間の約束を平然と反故にして顧みないような態度をとることが、韓国社会において道義に適っているのだとしたら、かれらの道徳心は、われわれのそれとは相当に異質なものであると、感じざるを得ない。
 

 

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