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社会保険庁職員による、あるいは職場ぐるみの年金記録改竄問題というのには、我々の社会がその前提としていた基本的な価値が脅かされているという、言いしれようのない絶望感を感じる。 日本社会の一般の勤労者は、多少融通がきかなくとも、少なくとも「まじめ」であり、公正公平であろうという(根拠はないかもしれないが)自負もあり期待もあった。 わたし自身についていえば、おそらくそういう父親の背中をこどものときから観ていた。 しかし、この事件は、公務員においてさえ、そのような期待が抱けないことを示している。日本社会は、どうなっていってしまうのだろう。 ここに、この事件の、なにかの底が抜けていくような恐怖感の原因がある。 改竄を行った動機や経緯は様々あるのであろう。 ただ、主な事情としては、保険料滞納者(事業所)を抱えていると、職員個人ないし職場に不利益がかかるということがあったようだ。 つまり、根本の問題は、保険料を納めれなくなった事業者の側にある。 考えてみれば、最近も健康保険組合を解散するというニュースをしばしば聞く。社会保障の負担が、企業に重くのしかかっている現実がある。 企業経営者とすれば、社会保険庁に年金保険料を納付して経営を成り立たせなくするよりは年金保険料を滞納した方がよいという判断もあるだろう。(無論、困ったことだが…) では、滞納しつづけていればどうなるのか。 保険料を強制徴収して、(そのような「悪質」な)企業を潰すということが「正解」なのだろう。 あるいは、そのような企業は、金のかかる従業員を解雇して、社会保障に金のかからない非正規雇用の従業員で乗り切るべきだったのだろう。 これは給料は払いたいが社会保障に金をかけたくない経営者と、滞納率を是が非でも下げたい木っ端役人の共同犯罪だが、その「恩恵」は誰に及んでいたのか、ということも、大声でいえないが、考えておく必要もあろう。 しかし、これはどうなのだろう。 社会保険庁が悪かったから、年金をまるまる支給せよというはなしなのだろうか。事実、その保険料は納付されることはなかったのではないか。社会保険を国民の共同事業と考えるのなら、やはり保険料は払われていなかったという事実は、なにがしか反映されるべきなのではないか。 「俺は知らなかった」という点は同情に値するかもしれないが、しかし、その同情によって、何をもたらすべきかは一義的に決まることではない。 そのような不正のおかげで、そのような企業は生き延びたのかもしれない。その結果として、雇用が維持できたのかもしれない。 だが、しかし、本人掛金分はどこへいってしまったのだろう。少なくとも、この人は、本人分は掛けていたはずだ。この部分が仮に、収められていなくとも、これが社会保険庁職員の犯罪に伴うものなのなら、この部分は斟酌されるべきはずだ。 それにしても、もともと、社会保険制度は年金にしろ、医療にしろ、このような長寿社会を想定してのものではなかったはずだ。長寿社会のコストを、企業に求める合理性はどこにあるのだろうか。 企業も日本社会の中で「生活」している以上はなにがしかの負担は当然だろう。しかし、現在、負担している負担を免れることになれば、企業優遇という話になるのだろうか? 合理的な制度設計に関する議論がでてこずに、いつまでも、こんな話題に終始していてそれでよいのだろうか。 |
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