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zoom RSS 「公共の福祉」は、「公益及び公の秩序」か

<<   作成日時 : 2005/08/02 23:16   >>

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 自民党の1次草案を見て驚いた。
 「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」という言葉にことごとく変換されていた。
 これは、草案12条の奇妙な国民の責務条項を規定するよりも、はるかに恐ろしいことである。

 「公共の福祉」をめぐる戦後の憲法学説を簡単におさらいしてみよう。

ア 一元的外在制約説
 美濃部達吉らによって説かれたもので、基本的人権はすべて「公共の福祉」によって制約される。 その「公共の福祉」とは、「公益」とか「公共の安寧秩序」という抽象的な最高概念として捉えられており、法律による人権制約が容易に肯定されやすく、旧憲法下の「法律の留保」と変わらなくなってしまう、とされる。

イ 内在・外在二元的制約説
 法学協会編「註解日本国憲法」が唱えた。
 12条、13条を倫理規定として法的意義がないものとし、12条、13条の人権総説規定による一般的な「公共の福祉」による外在的制約を否定しつつ、経済的権利(22条、29条)規定に格別におかれた「公共の福祉」規定、およびもともと国家の政策的配慮を要する社会権規定(25条〜28条)については、外在的制約が認められるとする。他方で、その他の人権については権利内在的な制約があるだけである。(その効果として、事前抑制はできないなどとされる。)
 これに対しては、社会権と自由権の区分がそう明確にいかないのではないか、とか、13条を倫理規定としてしまうと、13条による人権創設機能が損なわれてしまうのではないか、とか、あるいは「公共の福祉」の意義を狭い公益概念に限定することは妥当か、などと批判される。

ウ 一元的内在制約説
 宮澤俊義によって説かれ、現在の通説である。
 人権制約は人権に内在する限界によってだけ正当化されるというもので、その内在的限界とは、人権相互間の調整にほかならない。「公共の福祉」とは、このような人権相互間の調整的原理をいうものとするのである。

 現在の憲法学説は、ほぼ、ウの一元的内在制約説にたったうえで、同説が結局実質的に審査基準を提示しなかったことから、ア説と換わらぬことになってしまいかねないことを克服するために、「公共の福祉」によって人権制約が可能だとしても、それはどのような権利につきどのような基準を適用すべきなのかをきめ細かく考える方向性にある(あった?)といえよう。
 判例についても、大枠では、学説の方向と一致していると評価できよう。

 で、冒頭の関心に立ち返って、ア、イ、ウの流れをみるならば、権利外在的な最高概念による安易な人権制約を否定して、制約対象の人権の性格、制約の目的、手段について必要性、合理性を吟味するきめ細やかな審査基準を確立することにより、違憲審査制を実りあるものにし、あるいは、人権の擁護を図ろうとするものであったといえる。
 しかして、自民党草案にあった「公益及び公の秩序」とは、「公共の福祉」概念として適当でないとして否定された、権利外在的な最高概念そのものであろう。
 これは、つまり、60年間の憲法学説、判例の蓄積を一挙に葬ろうとする暴挙である、といわざるを得ないように思われる。

 自民改憲案については、めまいを感じるようなものが少なくないが、今回は、ここで、改憲派のある種の主張について、ひとこといっておきたい。
 改憲派の中に、議論の合理性をまったく考慮しないような、次のような発言をしばしば耳にする。曰く、「今の憲法は、権利ばっかり書いてあるので、今の人間は権利ばっかり主張する」。
 議論の合理性以前に、事実認識として、これには、美濃部の次の発言を掲げておきたい。なお、この美濃部の発言が、帰結とするところには、わたしは、反対であることを、念のため申し添える。
旧憲法には権利の義務性に付き何等言明する所なく、権利は単に権利としてのみ規定して居たが、新憲法は基本的人権の全体に付きそれが同時に義務たることを明示して居り、それは新憲法に於ける一の著しい進歩として見るべきである。(「日本国憲法原論」補訂版)

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[philosophy]公益とは何か〜J.Lockeの公共の福祉
昨年、■[philosophy]田中正造の哲学〜公共性と自治というエントリを出稿したとき、田中正造が”公益”掲げて正義の戦い続けた人物であることに改めて感銘をうけた。田中正造全集なども買っちゃおうかと思ったが、貧乏なので図書館にせがむことにする。 田中正造はしばしば【公害】という言葉を用いており、なるほど正造の時代から公害という言葉があったのかと思うわけだが、彼の用法を仔細にみると、現代の感覚とは幾分ニュアンスが違う。正造においては「国家」と「公益」が明確に区別されていた。正造の用例によれば、... ...続きを見る
+ だ ちょう +(駝 鳥)
2005/08/06 02:09
自由民主党憲法改正案(その4)
その3は国民の権利、義務です。長いので分割します。まず現行憲法です。 第3章 国民の権利及び義務  第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。 第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。  第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福... ...続きを見る
飯大蔵の言いたい事
2006/01/17 01:47

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
nagoyanさんのブログ気に入ってますが、コメントするには勇気がいるんです。私には他の方みたいに特に強い主張がないもので…。でも今回は最後のあたりの改憲派の「権利ばかり主張する」ってのに笑ってしまいました。今の政治家ってご自分の義務を果たしている方いらっしゃいましたっけ??
郵政騒ぎでいくつ大事なことが報道されていないのか不安になりますね。
ちゅん
2005/08/03 12:55
ちゅん様、ありがとうございます。
ちゅん様のご謙遜を真に受けるわけではないですが、「強い主張」のあるなしに関係なく、どうか気軽にお声をかけてください。というか、ある意味「強すぎる」主張の方はご遠慮願いたいような(くすっ)

ちゅん様ご指摘のとおり、郵政の影で、いくつものの「懸案」が「解決」されかねないような気がします。一生懸命、「よそ見」しなければ、と思っています。
nagoyan
2005/08/03 21:19
こんにちは。

>公益及び公の秩序
くらくら〜。。。。_| ̄|○

今夕か明日にでも関連エントリ書いてみます。
スワン
2005/08/04 14:05
たいへん、楽しみにしております。
nagoyan
2005/08/04 23:22
なんだか芦部説をコピペしたみたいな説明ですね。
そういう説は有力ではありますが、定説ではありません。
少なくとも判例は違います。一元的内在制約説は要するに
人権を制約できるのは人権だけという理論ですが、判例は
国家的社会的法益などの公益的要請も公共の福祉の内容と
しています。
通りすがり
2005/08/07 00:41
通りすがり様
できればHNをつけていただきたいが、それは今はよいでしょう。
この記事にTBをしておかなかった私の落ち度はありますが、「芦部説のコピペ」であることは、あとの記事で自認しております。「判例の流れ」について異説のあることも無論承知しております。支配的学説に依拠して議論を進めるのは当然でしょう。
では、一元的外在制約説から総ての判例を説明できるのか、がここでのポイントです。判例も苦労しているそのことを、あっさり、「公益及び公の秩序」などとしてしまう無神経さを批判しているのです。
nagoyan
2005/08/07 06:01

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